仕事を細分化し、それぞれの専門分野が進めていった方が生産性・効率は上がります。
しかしながら大切なものを見失う恐れがあります。
生産性と効率を求めるのは現代社会の宿命
私は日々生産性と効率を上げるために頭を使っています。
お客様が求めていることであり、社会が求めていることだからです。
自分の仕事の中、お客様の仕事の中での生産性・効率を上げることを考えていますが、広く考えれば職業というもの自体が社会にとっては生産性・効率を上げるものです。
それぞれが専門分野で仕事をすることで社会全体は豊かな暮らしをしています。
豊かな暮らしの定義は難しいですが・・・、物質的には豊かだと思います。
食に対して命のありがたさを感じるのが難しい
仕事が細分化され、普段の生活からは見えないことばかりです。
牛や豚や鳥がどのように処理されスーパーに並んでいるのかは見えません。
ゴミが回収されどのように処分されているのかも見えません。
金の延べ棒がどのように採掘された金から作られたのかも見えません。
見えないことばかりです。
出来上がったものばかりに触れ、不要になれば処分してくれる。
見たくないもの、面倒なものはみんな業者がやってくれる社会です。
このような生活の中で命のありがたさを感じるのは難しいのではないでしょうか。
これを書いている私も現実を見ていない一人です。
子供に対して食べ物のありがたさを教えているときに、自分も意識していないことに気がつきました。
お金中心の社会が生産性・効率化を必要とさせる
会社が生き残るために生産性と効率を上げることは必須です。
それはお金を稼ぎ出さないとならないからです。
お金が社会の中心である以上生産性と効率化の議論からは逃げ出すことはできません。
生産性と効率化を求め続けてきた結果、大切なことが見えない社会になってしまっている気がします。
お金と生産性・効率化を一切捨ててしまえば自分で鳥や豚を飼い、お米や野菜を育て、川で魚を釣るような生活ができるのかもしれません。
命に感謝する暮らしはできるでしょう。
馬鹿な空想にしか聞こえませんが、今が異常な時代であることは確かです。
異常な世界に進んでいくことが進化なのかもしれませんが・・・。
違和感を感じながらも、私の仕事はお金を管理すること、お客様の生産性・効率を上げることです。
日々取り組んでいくことに変わりはありません。
まとめ
ふと命に感謝していない自分に気づきこのような記事を書いてみました。
大げさなことはできなくても、日々感謝の気持ちは持っていたいものです。
大切なものを見失ってはなりません。
お金というのは人類を幸せにするのか、不幸にするのかわからないものです。
〜 なんてことのない日々 〜
息子が車を押して歩くのが上手になってきました。
体を動かす力が強く、おむつ替えや服を着せるのが大変です。
やはり娘の時とは違います(笑)